「永遠の未完成、これ完成なり」宮澤賢治 [浄光寺]
「永遠の未完成、これ 完成なり」
この言葉は、宮澤賢治の言葉です。本願寺25代門主専如上人の「念仏者の生き方」を読む際に押さえておきたい言葉です。
「これで完成!」と思った瞬間、成長は止まります。
「私たちはこの命を終える瞬間まで、我欲に執(とら)われた煩悩具足(ぼんのうぐそく)の愚かな存在であり、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできません」
命ある限り煩悩具足の「凡夫」である私。「凡夫」の姿から目をそらさず、永遠の完成(仏)に向かって前進しようとする未完成の私。
「しかし、それでも仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯(せいいっぱい)努力させていただく人間になるのです。」
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